前回は、ネクストジャパンへの入社と、社内ベンチャーとしてJJ CLUB 100を立ち上げるまでをお話ししました。
今回は、そのJJ CLUB 100がどのように全国展開していったのか、そしてその先に待っていた上場と、上場後に起きた変化についてお話しします。
みんなで理念を追いかけた上場までの道のり

JJ CLUBのコンセプトは明確でした。
「遠くて高いディズニーランドの対極。近くて安いJJ CLUB」
マトリックス形式のポジショニングマップで分析し、ディズニーランドとは真逆のコンセプトで勝負しようと考えました。
また、JJ CLUBはフィットネスクラブ時代のアイデアを活かし、会員制にしました。
当時のゲームセンターには「不良たちが行く場所」というイメージがあったため、会員制にすることでそのイメージを払拭。
親子、女子高生、友達同士で安心して来られる場所にしました。
さらに、1 to 1マーケティングを徹底しました。
会員が普段、JJ CLUBに来て何のアミューズメントで遊んでいるのかをすべてデータとして蓄積。
「お客様、いつもはカラオケをされていますね。今日もこの後少し、カラオケで歌って帰られませんか?」といった声がけなど、一人ひとりに合わせたマーケティングを地道に行いました。
これも、フィットネスクラブ時代に培った顧客管理の考え方が活かされたものでした。
また、社員たちとは「JJ CLUB全店で、ディズニーランドの年間来場者数を超えるぞ!」という大きな目標を掲げて一致団結。
当時はもう、無我夢中。必死でした。
文字通り寝る間も惜しんで働き、夜中から会議が始まるなんてことも日常茶飯事。その過酷な日々の名残から、私は今でも、昼の3時のことは必ず「15時」と言いますし、時間を24時間制で言う習慣がすっかり体と心に染み付いてしまいました。
今なら「超ブラック企業」と言われてしまうような働き方ですね(笑)。
そんな中でも、当時のネクストジャパンには、根底には「人を大切にする」理念がありましたし、創業者も私も、「みんなで世の中に貢献できる事業を通して、社会貢献していこう」という想いを語り、経営を真剣に考え、社員とも一致団結しながら頑張っていました。
結果、JJ CLUB 100は全国展開の事業へと成長し、ある年には全店あわせてディズニーランドを上回る来場者数を達成。
そんなふうに昼夜を問わず怒涛の勢いで全員が駆け抜けていた結果、会社は急成長を遂げ、その頃からいよいよ「上場(IPO)」が現実的な視野に入るようになってきました。
ほどなくして、JJ CLUB 100を運営するジョイジャパンクリエイトは親会社であるネクストジャパンと合併。
2004年、私はCOO(専務)としてマザーズ上場を果たしました。
41歳のときでした。
上場と引き換えに、組織が失ったもの
ところが上場した途端、会社は一変。
役員陣の関心が、一斉に株価と個人資産に向かってしまいました。あれだけ理念を語っていた役員たちが、自分のストックオプションの価値や、株価の上がり下がりばかり気にするようになった。
社会に貢献する企業をつくるという「目的」を掲げ、一致団結していたはずの組織が、まるで別の会社になってしまった。
「上場という目標は達成した。でも、本来の目的は達成されなかった」
その虚しさに直面する出来事となりました。
そしてもう1つ、「雇われ社長」という立場の限界も痛感しました。」「人を大切にする経営をしよう」「社会に貢献する会社になろう」という理念を追い求めてみんなで努力しても、最終的にはグループトップの方針に則って会社は運営される。
トップが理念経営を進めれば、会社はその方向に進むけれども、一度トップの意向が変われば、会社運営は180度変わってしまう。
このやりきれない感覚は、フィットネスクラブ時代で感じたものと同じでした。
仲間と共に一生懸命頑張って、上場も果たした。
でも、自分がここにいる意味はもうない。
こうして、私は退任を決意しました。
ーー仲間と駆け抜けた日々、上場という大きな達成、そしてその先で感じた虚しさ。すべてを経験した上で、私はネクストジャパンを去る決心をしました。
次回は、退任後に心が壊れた私が、石垣島でどのように自分を取り戻していったのかをお話しします。