前回は、建築不動産業界での修行、離婚によるゼロリセット、そして珈琲館でフランチャイズの仕組みを学ぶまでをお話ししました。
今回は、いよいよネクストジャパンとの出会いです。4時間に及んだ社長面接、そして入社初日にいきなり渡された「くしゃくしゃの裏紙」から、JJ CLUB 100が生まれるまでをお話しします。
創業者と会社員の自分の違いを見せつけられて

本を読み漁り、珈琲館でフランチャイズの仕組みを学び、社長になるためのスキルは身につけた。
あとは「自分に資金を投じてくれる資本家、もしくは社長になる機会をもらえる人物と出会うこと」。
それが私に残された課題でした。
しかし、当時はインターネットもまだ普及していない時代。
投資家と出会うチャンスなんて、そう簡単には転がっていません。
そんなある日、新聞の求人広告を見ていたところ、ある広告が目に止まりました。
それは「ネクストジャパン」という会社の求人広告。
広告から伝わってきたのは、「若い社員がたくさん働いていて、カリスマ的な創業社長が一人で引っ張っている会社」だということ。
当時のネクストジャパンは、アミューズメント事業や格闘技関連グッズの輸入事業などを展開している会社でしたが…実は私、具体的にどんな事業をやっている会社なのか、募集されているのが何のポジションなのかすら、ろくに読みもせず応募してしまいました。
なぜなら、
「この社長には、絶対に会わなあかん!」
と、直感でビビッと来たからです。
初めて会った瞬間に「将来はきっとこの人と結婚する!」とビビッときた、という話をよく聞きますが、その感覚に近かったです。
すぐに応募の連絡をし、社長面接へと漕ぎつけました。
社長面接は、なんと4時間にも及びました。
そして、面接の終盤。
「田中君、最後に何か聞きたいことはある?」と聞かれた私は「この会社には、社内ベンチャーで社長になれる仕組みはありますか?」と聞いてみました。
すると、社長は笑ってこう言ったんです。
「田中君、おかしなこと言うなぁ(笑)。そういう仕組みがないなら、それを作るのが経営者と違うの?」
ものすごい衝撃でした。
当時の私の年齢は37歳。社長は私より5歳も年下の32歳。この年下の創業者の一言によって「サラリーマンとして生きてきた自分」と「自分で起業して事業をつくってきた人」の決定的な差を突きつけられました。
「仕組みがないからできないのではない。仕組みがないなら作ればいい。この考え方こそが経営者の本質なんだ。自分に足りなかったのは、このマインドだったのだ!」と気づいた瞬間でした。
そして「社長になる」という明確な目的を持ち、2002年に株式会社ネクストジャパンに入社しました。
社長のアイデアをベースに、JJクラブ 100事業へ
入社初日の様子については、今でもよく覚えています。
会社に出勤すると、「田中くん、ちょっと待っててな」と言われて、軽く1、2時間待たされました(笑)。
その後いきなり社長がやってきて、
「田中くん、自分で事業やりたいって言ってたやんな!?」
そう言って見せてくれたのは、くしゃくしゃになったコピー用紙の裏紙に手書きで描かれた表。その表の中には、ネイル、エステといった美容系サービスが書かれており、それらをバイキングのように自由に受けることができる事業案でした。
書かれた紙が裏紙で、かつあまりにもくしゃくしゃだったので「社長は思いつきでメモでも書いたんだろうか(笑)」と思いつつも、「バイキングという事業形態自体は面白い。美容を複合アミューズメントに転換し、フィットネスクラブの会員制の発想を加えれば、いけるかもしれない」とも感じました。
そこでカラオケやゲームなど、さまざまな娯楽を1つの場所に集めてお客様に自由に楽しんでもらうことはできないか、と考え始めました。
そしてたどり着いたのが、24時間365日、15分100円(税込105円)で遊び放題の「JJ CLUB 100(イチマルマル)」モデルです。
皆さんの中にも「あぁ、JJ CLUB、知ってる!行ったことがある!」という人もいるかもしれませんね。
そして私は、ネクストジャパンから100%出資を受ける形で「株式会社ジョイジャパンクリエイト」という社内ベンチャーを立ち上げました。
ちなみにこの業態は、後にラウンドワンが「スポッチャ」としてサービス展開した、その原形となりました。
ーーこうして誕生したJJ CLUB 100。ここからは、全国展開、ディズニーランドの来場者数超え、そして上場へと、怒涛の日々が始まります。
次回は、夢中で駆け抜けたJJ CLUB 100の全国展開と、上場を果たしたその先に待っていた”もの”についてお話しします。